【水江未来の旅 #02】「水江西遊記(仮)」について

「水江西遊記(仮)」について

 
この記事はポッドキャスト番組として以下のメディアで聴くことができます。
 

ゲスト、パーソナリティ

Guest, Personality

ゲスト:水江未来
アニメーション作家
1981年福岡県生まれ。「細胞」や「幾何学図形」をモチーフに、ノンナラティブな表現を生み出す、アニメーション作家。見る者の目を奪う独特な抽象アニメーションで知られ、インディペンデント・アニメーションやMVなどを幅広く手がける。
世界4大アニメーション映画祭(アヌシー・オタワ・広島・ザグレブ)すべてにノミネート経験があり、代表作『MODERN No.2』は、ベネチア国際映画祭でワールドプレミア上映され、アヌシー国際アニメーション映画祭で音楽賞を受賞。
『WONDER』は、ベルリン国際映画祭でワールドプレミア上映され、アヌシー国際アニメーション映画祭でCANAL+Creative Aid賞を受賞した。現在は初の長編アニメーション『水江西遊記(仮)』の製作の準備に入っている。
Guest: Mirai Mizue
Animation Artist
Born in Fukuoka, Japan in 1981, this animation artist creates non-narrative expressions using motifs such as "cells" and "geometric shapes". He is known for their unique and captivating abstract animations and have worked on a wide range of projects including independent animation and music videos.
He has been nominated for all four major animation film festivals in the world (Annecy, Ottawa, Hiroshima, and Zagreb), and their masterpiece "MODERN No.2" premiered at the Venice International Film Festival and won the music award at the Annecy International Animation Film Festival.
"WONDER" premiered at the Berlin International Film Festival and won the CANAL+Creative Aid Award at the Annecy International Animation Film Festival. They are currently preparing to produce their first feature-length animation, "Mizue Saiyuki" (tentative title).
 
パーソナリティ:迫田祐樹
通信会社、総合広告代理店を経て、アニメ企画&制作会社を起業し、MV〜映画の映像プロデュース。2021年に京都に移住し京都のエンタメ産業の盛り上げにも着手。直近ではマンガやオーディオのエンタメ領域にも従事。オーディオドラマ、webtoonの企画&制作中。加えて複数のエンタメ会社のプロデューサーやアドバイザーをつとめる。
Personality: Yuuki Sakoda
After working for a telecommunications company and a comprehensive advertising agency, he started an anime planning and production company and produces music videos and films. In 2021, he moved to Kyoto and started working on promoting the entertainment industry in Kyoto. He is currently also working in the entertainment field of manga and audio. He is planning and producing audio dramas and webtoons. In addition, he serves as a producer and advisor for multiple entertainment companies.

全体の目次


#01
・アニメーションにおけるノンナラティブな表現とは? ・映画祭で自身の作品がノンナラティブ部門で上映されていた ・「物語」がない作品ではなくて「物語」を作品の柱に置いていない作品という解釈 ・ジャンルとか気にせず好きなものを作り続けている ・転ぶと痛いし柔らかいものは心地いい ・ジュラシックパーク、ターミネーターからのリュミエール兄弟 ・映画は物語だけじゃなくて瞬間の体験もある ・映画の中に散りばめられてる忘れられない体験が好き ・ある夏の日、ビニールプールでコンビナートを模して監督した怪獣映画ごっこ遊び ・ジェダイの帰還を劇場で観た記憶 ・映画が大好きな両親の元で ・高校三年生でファントムメナスを観るために劇場に並ぶ ・劇場空間というアナログへの憧憬・T-1000を見た衝撃 ・異質なものや奇妙なものが見たい ・ETERNITYのインタビューより ・短い尺の中で実験的に奇妙なものを作る ・20分寝させないものをノンナラティブで作るためのライド型 ・映画が終わったときに映画館にいたことを気付かされるということ ・ETを見た後の自転車爆走の夜
#02
・平面の大画面で主観映像を観るとVRになる ・「スパイダーバース」における映像の快楽性 ・ノンバーバルの価値とは ・言葉で伝え合うときの曖昧性 ・ドイツで「WONDER」を見てくれた女性からの言葉 ・ノンバーバルは見た人に自発的に何かを考えさせる効力があるのかも ・アンケートが苦手 ・「フラグルロック」の話 ・「水江西遊記(仮)」について ・いま、西遊記をやるということ ・人間がどう生きていくのか、世界をどう認識するのか
#03
・「License of Love」について ・たくさんのキャラクターを出すこと ・生きること、死ぬことの拡大がテーマ ・子供のときに読んだ学研の科学より ・Twoth(トゥース)さんの曲について ・イントゥーアニメーション8の曲も作ってくれている ・イントゥーアニメーション8のプラグラムについて ・アニメーションがより面白い時代になってきている ・アニメが横断し始めて、混沌としているが刺激的である
 

#02が始まります


平面の大画面で主観映像を観るとVRになる

My Experience with Trying Crowdfunding
 
軽いおさらいなんですけども、僕のほうからまず「ノンナラティブ」という言葉に対して、水江さんに解釈をお願いして、いろいろ話していただきました。で、そこからまあ物語というお話になっていく中で、水江さんのこの原体験の部分を聞いていっておりまして、本当に幼少期から親が映画がお好きな状況が見て取れて、すごくいろいろなものを連れて行ってもらっていたんだなというところで、『ジュラシックパーク』で『ターミネーター』の話で、その中で用いられている一つの表現であるCGについて、それが水江さんには奇妙で異質で、ただそれが快楽につながるような印象はすごく持たれていて、そこがやっぱり今こう作られているものにもこう脈々と繋がっていってるんだろうなというところが見て取れたという話だったかなと思います。
という中で『ETERNITY』の話なんですが、やっぱりこの精神が体から解放されることだったり、抽象アニメーションの持つポテンシャルあまたはあのノンバーバルな価値みたいなものも、ちょっとお話を聞いていければと思ったんですが、やっぱ映画館という大画面の場所で一人称視点でライド型で展開された平面コンテンツって、もはやVRと遜色ないかなと思ったりはしていて、なんかそれがむしろこのヘッドマウントディスプレイを強引にかぶせるVRよりも、よりこうVR的感覚をストレスフリーで感じる方法なのだろうなって思っていて。
なんか結構、僕はそれに一つのVRの答えがあるんだろうなとずっと思ってるんですよ。 巨大な画面であのライド型を見せるっていうのが一番ストレスフリーでいいんじゃないかって。僕、トクマルシューゴさんすごい好きでして、あのやっぱこうここにトクマルシューゴさんの曲をこう大音量で聴けるんだったらすごい心地いいだろうなって僕ちょっと見に行けなかったのであのあれなんですけど、っていうのをなんか思っておりました。
という中でまたちょっと引き続きではあるんですけども、抽象アニメーションの持つポテンシャルであったり、ノンバーバルの価値みたいなものとかも紐づけてこの後にお話をお聞きできれば 思っておるのですが、どうでしょうか?
To recap, I asked Mizue to interpret the term "non-narrative" and we had a conversation about it. From there, we talked about stories, and Mizue shared her childhood experience of her movie-loving parents taking her to see various films, including "Jurassic Park" and "Terminator," which introduced her to computer graphics (CG). She found CG strange and different, but also pleasurable. This impression has continued to influence her work, including "ETERNITY," which explores the release of the spirit from the body and the potential of abstract animation. I thought it would be interesting to hear more about the non-verbal value of the film, but I also think that the immersive, first-person, ride-like experience of a flat screen content in a movie theater is almost as good as VR. In fact, it may be a more stress-free way to experience VR-like sensations than wearing a VR headset.
I've been thinking for a while now that there might be a VR answer to this. Showing the ride type on a huge screen is probably the most stress-free way to do it. I really like Tokumaru Shugo's music, and I thought it would be really pleasant to listen to his music at high volume here. I couldn't go see it, but that's what I thought.
In addition, I think there is some potential in abstract animation and the value of non-verbal communication. I would like to hear more about this later. What do you think?

そうですね。『ETERNITY』のVR版を作るという話がチーム内で出たこともありましたね。実際にVR版の製作のための助成金に応募したこともありましたが、残念ながら受け取ることはできませんでした。そのため、『ETERNITY』の制作が終わった後にVRの製作に取りかかることはできませんでしたが、大きな画面を見ながら一人称視点で動くと、VRのような感覚が味わえるのはまさしくそうですね。
例えばUSJに昔あった『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のアトラクションが、半球体のスクリーンの中にデロリアンがあって、首を振っても全部が画面の中なわけですよね、すっごい頑張って見ると端っこ見れるんですけどでも、もうまあ、基本的にはもう全部視界が覆われていて、あれは もうリアルアナログVRっていう感じですけども、僕VR最初やっぱ体験したときは、これはあの「バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド」みたいだなと思いましたけど、やっぱりなんかそういったものを作りたいなってのはあったんですね。
最近はやっぱりそうですね、あの『スパイダーバース』がそういうことをやってる映画ですよね。あれはもう本当に映像の洪水っていうか、快楽性がものすごくて、『アクロス・ザ・スパイダーバース』なんかは冒頭シーンがオスカー・フィッシンガーの実験アニメーションオマージュから入るんですよ。ドラム叩いてるところが、ええマジか、っていう感じなんですよ、もうあのそういう系のアニメーション作ってる人間からするとオスカー・フィッシンガー引用してくるのか〜みたいな。
それで、途中で大量のスパイダーマンが追いかけてくるっていうシーンは、フランスのポール・グリモーっていう監督がいて、その人のもともとの『やぶにらみの暴君』というイトルで長編アニメーション映画作ってたんですけど、まあ『王と鳥』って言うタイトルで、その後作り直した作品がありまして、あれは男女が逃避行するんですね。で、大階段をダダ―ってこう走りながら、それを大量の人たちが捕まえろ、って言って追いかけてくる有名なシーンがあって、それを彷彿するんですよね。全く製作者側は別にそれは引用してないっていうか、頭に入ってない可能性もあるんですけど、あの大人数が人を追いかけるっていうシーンは他にも普通にあるかなとは思うので 。
でもやっぱりなんかそういうこう、所謂なんていうんですかね、インディペンデント系のアニメーションだったりとか、ヨーロッパの長編アニメーションとか、そういったものに親しんできた人間が、こういう表現も取り入れてくんだみたいな、やられた、っていう感じはすごくありますよね。と同時に、物凄く興奮してしまうので『スパイダーバース』みたいな映画は、ちょっとその変形版はいろんな人が作れるぞ、みたいな、すごく期待感があるというか、なんかこうちょっと自分も長編頑張ろうみたいな、そんな感じになりましたけど、本当にそういうこう映像的快楽っていうのは最近の作品にもすごくありますよね。
Well, there was talk within the team about creating a VR version of "ETERNITY". We even applied for grants to make it happen, but unfortunately we didn't receive any. After finishing the production of "ETERNITY", we couldn't start working on the VR version, but moving in first-person perspective while looking at a large screen can give you a VR-like sensation. For example, there used to be a "Back to the Future" attraction at USJ where a DeLorean was in a hemispherical screen, and even if you shake your head you're still within the screen. If you try really hard, you can see the edges, but basically your entire field of view is covered. It's like a real analog VR. When I first experienced VR, I thought it was like "Back to the Future: The Ride", but I still had a desire to create something like that.
Recently, it's that movie "Spider-Verse" that's doing that kind of thing, right? It's already like a flood of visuals, and the pleasure is incredible. In "Across the Spider-Verse," the opening scene is an homage to Oscar Fishinger's experimental animation. When they start playing the drums, it's like, "Wow, really?" As someone who makes that kind of animation, it's like, "Oh, they're quoting Oscar Fishinger."
So, there's a scene where a large number of Spider-Men chase after the characters. And there was French director named Paul Grimault. He originally made a feature-length animated film called "The King and the Mockingbird," but later remade it. In the original film, it was a man and a woman who were on the run, and there's a famous scene where they run up a large staircase and a crowd of people try to catch them. It's reminiscent of that. The filmmakers may not have intentionally referenced it or even remembered it, but I think scenes of large groups of people chasing someone are common enough in movies.
But I think people who are familiar with independent animation or European feature-length animation, or things like that, tend to incorporate those kinds of expressions, and it's really exciting. At the same time, I get really excited because it feels like "Spider-Verse" is a movie that shows that there are many variations of this kind of movie that can be made by different people. It makes me feel like I want to try making a feature-length film myself. There's really a lot of visual pleasure in recent movies.

長編頑張ろう、っていう言葉も水江さんから出たので、今チャレンジされてる長編の話にも行けそうな気もするし、ちょっとまだ『やぶにらみの暴君』の話にとどまって、時節柄、宮崎駿さんとこう紐付けて語るみたいなのも面白そうだしとか思ったり、あのなんかいろいろ思いましたね。
あと、なんだろうな、そのメタモルフォーゼアニメーションやあの『ETERNITY』でやられていることって、曼荼羅のモチーフとかも出てくるって話あったんですが、やっぱその何ていうかな、基本的に空の思考っていうか、めちゃくちゃ仏教的だなとも思うわけですよ。「色即是空、空即是色」だったり、「諸行無常」じゃないですけど。だからなんかその辺のモチーフの話も聞きたいしなどなど、なんか僕、水江さんに聞きたいことが渋滞してるような感じでございます、っていう感じなんですけど(笑)一旦じゃあ、最後に『ETERNITY』絡みでお話を聞きできればと思うんですけども、ノンバーバルの価値みたいなものとかは、水江さんはどうお考えなのかなっていうことをお聞きしたいと思います。
Since the phrase "Let's do our best with a long piece" came from Mizue-san, I feel like I could also talk about the long piece that I'm currently challenging myself with. I also thought it would be interesting to talk about "The Tyrant of the Thicket" and connect it with Miyazaki Hayao's works, especially considering the season. There were also talks about the motifs of mandalas and such in the Metamorphose Animation and "ETERNITY," so I think it's really Buddhist in a sense, with its fundamental emptiness of thought. Like "Form is emptiness, emptiness is form" and "All things are impermanent," for example. So I want to hear more about these motifs and such from Mizue-san. I feel like I have a backlog of things I want to ask her, haha. Anyway, for now, I would like to hear about "ETERNITY" and what Mizue-san thinks about the value of nonverbal communication.
 
そうですねえ、例えばその言語っていうものは非常に難しいんですよね、共通の言語がないとコミュニケーションが取れないんじゃないですか。同じ英語を話すとか、日本語を話すとかでも日本語を話す同士でも結構違う世代が離れてると、今それなんて言ったの?みたいな感じになったりするわけですよね。で、今大学で教えてたりもするので、まあ自分の半分ぐらいの年齢のが学生と話したりするんですけども、例えば「昔」って言葉を使ったりするんですよ、学生が。「自分にとって昔のことを描きます」みたいな。「その昔っていつなの?」って聞いたら「中学の頃」とか言うんですよ。要するに5年前とかなんですよ、その学生からしたら。で、別に僕からしたら5年前だって昔ではないじゃないですか。
だから要するに昔とか今とか未来とかを指す時っていうのは、その人の年齢だったり、どれぐらいの人生を生きてるかとか、まあどういう経験してるかによって、昔とか過去とか今とか未来って言葉っても指してるものが全く違うので、同じ言語を使っててもよくよくちゃんとこう話し合わないと、実は意思疎通取れてないっていうことはよくあるなぁ、いうのはよく思うんですよね。なのでどんどんこう、コミュニケーションとる時はいろんな角度から丁寧に話を聞いていくとか、まあ一回の会話だけではなくて、何回も話してる中で、ようやくその人がどういう人かっていうのがだんだん理解できていくっていうものだと思うんですけども。そういった中で、そのやっぱりそのノンバーバルなこうまあ映画っていうか、自分のアニメーションっていうのは、要するにその言語っていうところからは解放されているというか。
Well, you know, language is a really difficult thing. Without a common language, it's hard to communicate with others. Even if you speak the same language, like English or Japanese, there can still be misunderstandings if there's a big age gap or different life experiences. For example, I teach at a university and sometimes talk to students who are about half my age. They'll use the word "昔" (mukashi) to refer to something that happened in middle school, which to them might be 5 years ago, but to me doesn't seem like that long ago.
So when we talk about the past, present, or future, it can mean such different things depending on a person's age, life experience, and perspective. Even if we're speaking the same language, we might not really be communicating effectively unless we take the time to listen and understand each other. That's why I think it's important to approach communication from different angles and have multiple conversations with someone to really get to know them.
In a way, nonverbal forms of communication, like movies or animation, can be freeing from the constraints of language.

ベルリン映画祭に10年ぐらい前に行ったんですね。で、その時に『WONDER』という作品を上映してで、それは6分ずっと色がぐにゃぐにゃ形が変容しながらいろんな色がでてきて、ずっと変容して行くっていうアニメーションでして。PASCALSが音楽を作ってくれてこう、すごく多幸感のある音楽で進んでいくんですけども、それを見に来てたお客さんで、一般のベルリン在住の女性の方だったんですけど、上映後に僕に感想言いに来てくれて。
今までの僕が作った作品で感想言われる時って、音楽と映像がタイミングが合ってて気持ち良いとか、いっぱい動いてて、なんかうわーってなったとか、まあ、要するに視覚的に見えるものの、刺激に対して感想言ってくれてるんですね。で、その『WONDER』って作品のときは違う感想をその女性から貰って。その人が言ってたのは「私は最近、黒とかグレーとかの服ばっかり来て毎日会社に行ってたけどなんか明日からは赤とか黄色とか青とかそういう色の服をたまには着て、自分の人生にWONDERを取り入れてみようかなと思った」みたいなこと言って帰ってったんですよ。
僕はそんな事別に言ってないんですよ、映画の中では。言ってないんだけども勝手にそういう風に受けとったんですよね。それで、僕は、すごいことだなって思って、なんかその自分の作品がすごいじゃなくて、抽象アニメーション的な作品でノンナラティブ、ンバーバルな作品がこういう風に見てる人が「明日からこうしよう」みたいなことを思わせてしまうっていう。なんかそういったその作品アニメーションが持つ力っていうのを、なんかはじめて目の当たりにしたんですよ。
それまで10年以上アニメーション作ってたんですけど、自分が作った作品でそういうことが起こると思っていなかったんで、まあアニメーションがすごく力があるんだなって言うのを、その時にすごく感じて、それからは自分が作る目的っていうのがすごく明確に変わったっていうのがありますね。要するにその映像を見る体験を通して、その人が何か新しいことを思いついたりとか、何かこれまでの自分から何か違うものを取り入れようとか、そういう風に少し考えが変わってしまう、考えを変えさせたいって思ってるわけじゃないんですけれども、なんかそういったことも起こるっていうことを期待して作品を作るっていうふうにこう変わったっていうのがあるので、まあそういう意味では、ノンバーバルなものっていうのは、その人の内側から自発的に何かをこう思わせるっていうか考えさせるっていうことが起こりうるのかなとか、そういうことは思ったりしますね。
I went to the Berlin Film Festival about 10 years ago. At that time, they screened a work called 'WONDER', which was an animation that lasted 6 minutes with constantly changing colors and shapes. PASCALS provided the music, which was very uplifting, and the animation continued to change. After watching the film, a female resident of Berlin who was a general audience member came up to me and gave me her impressions.
When people give me feedback on the works I have created so far, they usually comment on the timing of the music and visuals, or they say that there was a lot of movement and they were impressed visually. In other words, they usually give feedback on the visual and sensory aspects of the works. However, the feedback I received from this woman regarding 'WONDER' was different. What she said was, "I've been wearing only black and gray clothes and going to work every day, but I thought maybe I'll start wearing red, yellow, and blue clothes occasionally and try to incorporate WONDER into my life." She said that and went home.
I didn't say that in the movie. I never said it, but people took it that way. I thought it was amazing and it made me realize that my work wasn't great, but rather that abstract, non-narrative, non-verbal animation could make people think "I should start doing this tomorrow." That's the power that this kind of animation holds, and I witnessed it for the first time.
I had been making animations for over 10 years, but I never thought that my work could have that kind of impact. So, I felt that animation was really powerful and my purpose for creating it became much clearer. Through the experience of watching these visual works, people might come up with something new or incorporate something different from themselves. I don't necessarily want to change people's thoughts, but I do hope that these kinds of things can happen, and that's why I make my works with the expectation that they will.
In that sense, I think that non-verbal works can make people spontaneously think or change their thoughts from within.
 

ノンバーバルの価値とは

What is the value of nonverbal communication?
 
ああ、いや今のその実際のこのベルリン国際映画祭でのエピソードも踏まえて、なんかこのノンバーバルの価値がすごくなんか分かりやすく伝わったのではないかと、今勝手に思っていています。やっぱり人間って言葉を使ってるから言葉が一番相互理解しやすいとか思いがちですけど、普通に言葉が下手ですよね。解釈と事実っていうものの違いがあるみたいなこともあって、みんなナチュラルに前提を逸脱するし、言葉はすれ違う。だからなんか制作者側も言葉を使うと、言葉がもたらす規定によって、様々な解釈の幅を狭めてしまうっていうことがかなりあるなっておもうんですよね。
僕の解釈なんですけど、なんかやっぱ水江さんの作られているものって柔らかくて、その柔らかさをどう自分が受け取ってどう処理するのかを見る側に委ねられている感じがするんですよ。なんか柔らかいなって感じは僕も『WONDER』を見て、すごく思って。本当音楽も軽快でめちゃくちゃワクワクするし。なんか必ずしもみんながそうとは思わないかもしれないですけど大部分の人がそのポジティブな何かを勝手に自分の中で解釈して、テイクアウェイしそうな作品になってるなと思うので、ノンバーバルの力ってそういうことですよね。
自分で何かを解釈しようと思う人には、すごく背中を押してもらう技だし、逆に押しつけられたいって言う人には向かないっていうか、言葉で分かりやすく語って欲しいって言う人が結構マジョリティだったりするじゃないですか、世の中って。なんかそういう受け手の態度というか、受け手の今の人生のステージみたいなものもなんかだいぶありそうだなという気がしますよね。一緒に作っていく感じっていうんですかね、ノンバーバルって。お客さんと制作者と一緒に作っていくっていう感じなのかなっていう気もちょっとしました。
Oh, no. Based on the episode at the Berlin International Film Festival, I think the value of this nonverbal communication has been conveyed very clearly. We tend to think that language is the easiest way for mutual understanding because humans use language, but we are not good at using language. There are differences between interpretation and fact, and everyone naturally deviates from the premise, and words can be misunderstood. So, I think that creators often narrow the range of interpretations by using language due to the regulations that language brings.
This is my interpretation, but I feel that what Mizue creates is soft, and it is up to the viewer to receive and process that softness. I also felt that "WONDER" was very soft when I watched it. The music is really upbeat and exciting. Although not everyone may think so, I think that most people interpret something positive in their own way and take away something from the film, making it a work of nonverbal power.
For people who want to interpret something on their own, it's a really encouraging technique, but on the other hand, there are quite a few people in the world who say they don't want to be pushed and want things explained clearly in words. I think it has a lot to do with the attitude of the receiver, or the stage of life they are in. It's like creating something together, non-verbally. I felt like it might be about creating something together with the customer and the creator.

そうですね。なんかこう今の話聞いてるとあの、アンケートって、僕、苦手なんですよ。理由が明確にあるんですが、アンケートを記入すると、そこで新たな誤解が生まれるんじゃないかっていうのがすごく気になってしまって、簡単に答えるってのは出来ないんです。「好きな食べ物何ですか?」って言われて「じゃあ卵焼きが好きです」って答えたら、その後、例えばそのアンケートを取った人たちとご飯を食べに行った時に、「水江さん卵焼き頼みますか」とか言われたりとか、「卵どうぞどうぞ」とかいって自分の前に卵が来たりとか。なんかそうなると、「えっと卵焼きだけど卵に目がないわけではない」っていうか、ちょっとそれが強まってしまう感じがあって。
「尊敬する人は誰ですか」がすごく難しい質問で、10代の頃とかは坂本龍馬とか書いてたんですよ。でもだんだん坂本龍馬の何に尊敬してるのがだんだん分かんなくなってくるんですよね。 でもう書かなくなったり、尊敬する人いないって書くようにしているんですけど、いないって書くとなんかこう逆に、そういう自分が一番すごいと思ってる人みたいに思われるんじゃないかとか….。だからもうアンケートはやめてくれみたいになるんですよ。
これってやっぱり言葉、言語で集約しないといけないっていうところに対しての難しさっていう部分があると思うので本当にその言語に集約しようとしなくていいっていうところが、やっぱり映像作品の中には魅力としてあるんだと思うんですよね。
Well, let me see. When I listen to the current talk about surveys, I feel uncomfortable because I'm not good at them. I have a clear reason for it. When I fill out a survey, I worry that it might create new misunderstandings. So, I can't easily give simple answers. For example, if someone asks me, "What's your favorite food?" and I answer, "I like tamagoyaki (Japanese omelet)," then later, when I go out to eat with the people who conducted the survey, they might say, "So, Mizue, are you going to order tamagoyaki?" or "Please have some eggs," and then eggs are served in front of me. When this happens, my liking for tamagoyaki becomes exaggerated, like "Well, I do like tamagoyaki, but it doesn't mean I only eat eggs."
The question "Who do you respect?" is a very difficult one. When I was in my teens, I used to write down Sakamoto Ryoma's name or someone like that. But gradually, I couldn't remember why I respected Sakamoto Ryoma. So, I stopped writing down his name and started writing "I don't have anyone I respect." But then, I worry that if I write that, people might think that I'm the kind of person who thinks they're the most amazing. So, I end up not wanting to participate in surveys anymore.
I think the difficulty lies in the fact that we need to express our thoughts in words or language. That's why, I think it's a charm of visual works that we don't necessarily have to express everything in words and just leave it to the imagination.

面白いです。言葉が不自由だなと直感している人だからこそ、アニメーションという表現を使っているのに、そのアニメーションのことを言葉でなんとかアウトプットしてくれって、強制されてる感じは、「不自由なんだよなー」って感じがすごくしますよね。「伝えたいのはこの言葉だと補いきれないんだよなぁ」っていう。なりますよね。
後半でもまたその話をして行きつつ、長編のお話もお聞きしたいなと思っておりますので。ここで1曲ご紹介いただければと思いますが、どういたしましょうか。
It's interesting. As someone who intuitively feels limited by words, it feels like being forced to output the animation in words, even though I'm using animation as a form of expression. It's like realizing "I'm limited" and feeling like "I can't compensate for what I want to convey with words alone." It's understandable, isn't it?
I would like to continue talking about this while also hearing a long story later on. Could you please introduce a song here? What do you think?
 
はい。この曲は僕は幼少期の頃に大好きだったあのテレビ番組の曲なんですけれども、ジム・ヘンソンのこのマペットを使ったテレビ番組で「フラグルロック」ですね。その番組の主題歌をお聞きください。
Yes. This song is the theme song of "Fraggle Rock," a television show that used Jim Henson's Muppets, which I loved when I was a child. Please listen to the show's theme song.
 
 

「フラグルロック」の話

Story of Fraggle Rock
 
多分、幼稚園ぐらいの時に見てたものでNHKでやっていた番組なんですね。すごく面白い番組で、おじさんが犬と一緒に暮らしてる1つの家があるんですね。そこが舞台なんですけど、おじいさんと犬が暮らしててで、そのネズミの穴みたいなこう穴がネズミの巣の穴みたいなのが壁に空いてるんですけども、そこにカメラが入って行くんですよ。
で、そうするとその中にはフラグルという、ネズミみたいな生き物たちが暮らしている世界があって、でそこに行くとそのフラグルがいろんな種類のフラグルがいっぱいいるんですけれども、そこにさらにフラグルよりもちっちゃいなんか工事現場の作業員みたいな人たちがいて、その人たちはなんか砂糖菓子みたいな感じの建築物をずっと建築してるんですよ。だけど、フラグルがなんか暴れたりする。なんか、みんなどんちゃん騒ぎしてるんであのせっかくその作業員たちが作ったのをぶっ壊しちゃったりとかするんですね。
なのでその穴の向こう側に別世界があるんだけど、そこには2つの種族がいるんですよ。片方は超労働してて、片方は歌って踊ってしてるんだけど、さらにその奥に行くと、その穴から外の世界にまた行くんですけど、そしたらそこには着ぐるみのキャラクターですね、フラグルたちを人形を動かすものなんですけれども、今度は人が中に入ってるタイプのトロールたちがいる世界があって、で、そのトロールはフラグルを捕まえようとしてるんですよ。
そのトロールたちの世界があってという形でなんか全部で3つの世界があるんですね。人間のおじいさんの家の中の世界とええフラグル達の世界と、またその外側のトロールの世界っていうふうに、すごく入れ子になって3つの世界があって、そこを行き来するしながら、毎回エピソードが進むっていうのが、まあ、すごく魅力的だったというか、やっぱ別世界に行くっていうのって、それがこう入れ子になっているのが、やっぱりすごく面白かったですね。うん、
I think it was a program I watched when I was in kindergarten, on NHK. It was a really interesting show about a man living with a dog in a certain house. That's where the story takes place, and the old man and the dog live there. There are mouse holes in the walls, like mouse nests, and cameras go into them.
Then, inside, there's a world where creatures called Fraggles, like mice, live. There are many different types of Fraggles there, and even smaller people who look like construction workers at a construction site. Those people are always building buildings that look like candy. But sometimes the Fraggles get rowdy and everyone starts making a fuss, so they end up breaking the things that the workers had worked so hard to build.
So there's another world on the other side of that hole, and there are two different races there. One race works really hard, and the other sings and dances. If you go even further, you'll go back to the outside world where there are characters in costumes called Fraggles that are controlled by puppets. But in this world, there are trolls who are actually people in suits trying to capture the Fraggles.
There are three different worlds nested within each other. There's the world inside the old man's house, the world of the Fraggles, and then the outer Troll world. It's really fascinating to see the characters travel between these worlds and have new adventures in each episode. Going to another world that's nested inside another world is really interesting. Yeah.
 
うん、面白いです。なんか勝手に紐づけちゃうんですけど、僕やっぱこう最近の映画のトレンドってやっぱり多人称、マルチバースがきてるなってなんかすごく思うわけなんですよね。普通に見える日常のショットを描く、またはそれを一方向でリニアで1時間描くにしても全然違う登場人物とか全然違う人称から見るとこうも違うんだっていうことが、なんか映画というフォーマットの中で使われ始めたなっていうのを最近すごく感じていて。
だからこれもある種、『フラグルロック』的なものも、同じ場所でいくつかの世界があって、それを別の視点で見てるっていうところがなにかのメタファーだよな、とか思ったりもして。是枝監督の『怪物』という作品が最近フューチャーされておりますが、あれも多人称というか、いくつかの視点で1つの物語を描くというところのフォーマットですし。『カメラを止めるな!』もそうだろうなって思うし、なんかそういうのを思いました。
Hmm, it's interesting. Although it may not be clear, I personally feel that recent movie trends are leaning towards multi-perspectives and multiple universes. Even if it's just a normal shot of daily life or a linear one-hour shot, it's amazing how different it can be when viewed from a different character's perspective or point of view. I've recently felt that this format is being used more in movies.
So, in a way, works like "Fraggle Rock" have several worlds in the same place, and seeing them from a different perspective is a metaphor of some kind. I also thought about this while watching director Koreeda's recent work "The Third Murder," which uses a format where multiple viewpoints are used to tell one story. I think "One Cut of the Dead" is also like that. That's what I thought.
 
そうですよね、『カメラを止めるな!』のもそうですよね、確かに。あれは、何回も金曜日を何回もやり直しますよね。やり直すっていうか、いろんな人の視点で学校のある曜日を毎回毎回こうやってっていうのはまあマルチバース的ですよね。それぞれの視点で同じ時間でね。
Yes, that's right. "One Cut of the Dead" does that too, doesn't it? It repeats Friday over and over again. Or rather, it's more like a multiverse where they show the same day at school from different perspectives each time. All within the same time frame.
 
マルチバース的ですね。『Everything Everywhere All At Once』もそうだし。 まあ、マーベルなんかは別のユニバース的な話だとも思いつつなんですけど、でもなんかすごいそのムーブメントが来てるなあっていうのが物語を語る上で、多人称で語らないと、もうわからないっていうレベルになってるんだろうなっていうのすごく思うんですよね。 It's very multiverse-like. "Everything Everywhere All At Once" is like that too. Well, I also think that Marvel is a different universe, but I feel like this movement is really coming. In order to tell the story, if we don't speak in the third person, it's probably already at the level where we don't understand anymore. That's what I really think.
 
そうですね。うん、最近の『ザ・フラッシュ』とかもそうですしね。うん、はい。DC映画の『ザ・フラッシュ』。あれちょっとマルチバースですよね。そうですね。あの『ETERNITY』 も若干そういうところあるんですが、今企画してる『西遊記』もちょっとマルチバース的な感じではありますね。
Well, yeah. Recently, shows like "The Flash" are like that too, right? Yes, the DC movie "The Flash" is a bit multiverse, isn't it? Yeah. "ETERNITY" also has a bit of that, but the upcoming "Journey to the West" is also kind of multiverse-ish.
 

「水江西遊記(仮)」について

About Mizue Saiyuki
 
ちょうどそれも聞いていきたいなと思ってました。『WONDER』の話からちょっとつなげると、この『WONDER』がベルリン国際映画祭でワールドプレミア上映され、アヌシー国際アニメーション映画祭で「CANAL+ CREATIVE AID 賞」を受賞し、というところでで、まあその流れもあると思うんですが、先ほども「長編やってみたいなあ」っていうお言葉が出ましたけれども、長編アニメーションに今挑戦されていて、それが『水江西遊記(仮)』というところで今制作開始されている、というところですかね。 I was actually wondering about that too. To connect it with the discussion about "WONDER," this film had its world premiere at the Berlin International Film Festival and won the "CANAL+ CREATIVE AID Award" at the Annecy International Animation Film Festival. I think that's part of the reason why we're talking about it now. Earlier, there was also mention of wanting to try making a feature-length film. Currently, there is a challenge to create a feature-length animation called "Mizue no Saiyuki (tentative)," which is now in production.
 
そうですね。今はまだ制作開始まではいっていなくて、前段階というか第一項として物語はもう自分で執筆をしていて、キャラクター原案的なものだったりとか、あとは2分間のパイロット映像だったりとか、そういったものは作っていて、今、要するに資金を集めるための準備をしているっていう感じですね。なので、まあ一応こう現段階での物語ってものは、もう描き切ってはいるっていう、テキストとしては書いているっていう感じなんです、はい。 Well, at present, we haven't started the production yet. We are in the preliminary stage, and the story is being written by myself as the first step, such as the character drafts, and we are also making a 2-minute pilot film. We are preparing to raise funds. So, I have already written the story as a text, and it's completed at this stage. Yes.
 
プロットとか脚本が長編釈分は今出来たかなっていう感じですか?
Is the plot and script of the full-length film adaptation ready to go now?
 
そうですね。でもなんかどうもこれをそのままやると3時間40分とかになっちゃうらしくて、どうしようみたいな感じにはなってるんですけども。『西遊記』を今やるっていう考えた時に、『西遊記』って要するに天竺に行く話なんですが、三蔵法師がお経を貰うために行くと。で大乗仏教なんですが、大乗仏教ってのは内容を理解してなくても、お経唱えていれば、オッケーっていう。まあ簡単に説明すると。
要するにその三蔵法師の住んでいる都っていうのがもうこんなもう堕落をしてしまってというか、そのそこに居る人達を救済するためには、大乗仏教のお経がないといけないっていう。まあそれで取りに行くっていう話ですけれども。天竺というのは。今で言うインドで、今インドに行くことは物語を描くときに、その『西遊記』がこう書かれたまあ時代と比べるとインドはなんかこう遠い土地ではないというか、今描く時にじゃあ天竺をどういう場所として描くべきかとか、そういったことを考えながら、作った物語って感じですね。なのでSF設定になっています。
Well, let's see. But apparently if you do it as is, it will take about 3 hours and 40 minutes, so we're wondering what to do. When you think about doing "Journey to the West" now, it's basically a story about going to India, where the monk Tripitaka goes to get sutras. It's Mahayana Buddhism, and even if you don't understand the content, as long as you chant the sutras, it's okay. Well, to put it simply.
Basically, the city where Tripitaka lives is already in such a state of decay, and in order to save the people there, they need the Mahayana Buddhist sutras. It's a story about going to get them. India, or "Tenjiku" in Japanese, is what we now call India, and when the story was written, compared to the time it was written, India is not such a distant land. So when creating the story, they thought about how to depict Tenjiku as a place, and it became a science fiction setting.

やっぱここにも仏教というモチーフが現れているのですが、やっぱ自然と表現するものが何かしら仏教的な要素があって、お経もそうですし、その曼荼羅とかそういった記されたものもそうかもしれないですけど、なんかそういうものに通じるって言うのが水江さんの中であるんだろうなと感じるんですけども。
It seems that the motif of Buddhism is also appearing here, and there are some elements of Buddhism in things that are naturally expressed. For example, sutras and mandalas may have such elements. I feel that Mizue understands and relates to such things.

なんかまあ『西遊記』が、仏教と元々があのつながっている関わりのすごく深い物語であるっていうところもあるんですけれども、僕が執筆した物語の中には、仏教的な視点だけじゃなくて、キリスト教的な側面もあったりとか、いわゆる宗教というものが、人がどういったことを考えて、こういったものが形成されていったかとかそういったことを考えていく中で自分なりの人間がどうやって生きていくべきなのかみたいなことを書いてます。
ちょっと宮崎駿監督の新作の映画みたいなこと言っちゃいましたけど、どう生きていくのかとか、世界をどう捉えるのかとか、そういったことを、描きたいなぁっていうふうに思っていて、まあ、その中で要素として仏教的なものとキリスト教的なものとか、その他のいろいろなその考え方とか、そういったものもまあ登場してくるみたいな感じですかね。まあ、最終的にはそのいずれでもない答えみたいなことを自分なりには考えて作っていったみたいなところはあるかなと思います。
Well, there is a deep connection between "Journey to the West" and Buddhism, but in the story I wrote, there are not only Buddhist perspectives but also Christian aspects. I explore how religions, including Buddhism and Christianity, have been formed based on human thoughts and contemplate how individuals should live their lives.
I mentioned it's like a new film by director Hayao Miyazaki, but I want to depict how to live and how to perceive the world. In that regard, elements of Buddhism, Christianity, and various other ideologies come into play. Ultimately, I think I have created a story that doesn't provide a definitive answer in any of those perspectives.
 
なるほどなぁ。先ほどちらっと言われてましたけど、そういったプロットがありながら、それが様々な視点から描かれるので、やっぱり尺も長くなってるっていうところなんですか?
I see. Earlier, you mentioned briefly that while there are such plots, they are depicted from various perspectives, so the length of the story has naturally become longer, is that right?
 
そうですね。キャラクターの数がどんどん増えていくんですね。『西遊記』は三蔵法師がいて、三蔵法師が乗っている白い馬がいて、孫悟空と沙悟浄と猪八戒がいる。まあ、そのメンバーですけど、だんだん後半にいくにつれて僕が描いている『水江西遊記』では人数がめちゃくちゃ増えていくんですよ。1つの集団、1つのキャラバンになっていく、新しい集団を作っていくみたいな、そういった部分があって、どうしてもそこで物語がどんどん増幅していくような形になっていってしまっているっていうのがあるんですね。
Well, you see. The number of characters keeps increasing. In "Journey to the West," there is Sanzo, a white horse that Sanzo rides, and Sun Wukong, Sha Wujing, and Zhu Bajie. Well, those are the members, but as we go towards the later part, in my "Mizue Saiyouki" that I am drawing, the number of characters keeps increasing like crazy. It becomes one group, one caravan, creating a new group, and there is a part where the story keeps amplifying as a result, and it ended up becoming like that.

表現の仕方とか、アニメーションの制作の手法みたいな具体的な話になっちゃう話なんですけど、それはどういう形になるんですか?例えば僕、Tempalayさんのミュージックビデオの「あびばのんのん」すごい好きでして、あれも一つのノンナラティブでエクスペリメンタルであるというものでそういった映像手法を用いてなるべくナラティブ側というか、ストーリーテリングの型にあてはめた表現の 1つかなと思うんですけど。 『水江西遊記』がどのような表現で描かれるとかが気になっております。
It's a conversation that tends to focus on specific topics such as expression methods and animation production techniques. What form will it take? For example, I really like Tempalay's music video for "Abibanonnon," which is a non-narrative experimental piece. I think it uses visual techniques that fit into the narrative or storytelling framework as much as possible. I'm curious about how "Mizue Saiyouki" will be depicted.
 

うん、そうですね。なんかミュージックビデオの中に少しずつ、いずれ長編をやるっていうことを頭には入れながら、作ってるものが多いかなっていう感じがあるんですよね。ミュージックビデオの中でやってる演出は、いずれ長編の中でやりたいなと思ってることを少しずつ実験してる部分はあったりしますね。まあ抽象的な表現を、今までは抽象アニメーションっていうところでやってきましたけど、それを長編の中の演出として、自分がやってきた長編的なものを抽象的なものをどうやって入れるかっていうのをこう考えて、ええやろうと思ってます。例えば、なんかその孫悟空の妖術だったり変身したりだとか、そういったところはそうですけど、あと結構、地形が変わっていくような感じの描写とかあるんですよね。
『西遊記』の原作って、1行で500年経っちゃたりするんですよ。それですごいのが原作のその『西遊記』を読んでると、孫悟空は觔斗雲に乗って2回ぐらい一旦天竺行ってますからね。
Yeah, that's right. I feel like I'm creating a lot of things while keeping in mind that eventually I want to make a feature film within the music videos. Within the music videos, there are elements that I'm experimenting with, which I want to incorporate into the feature film. In the past, I've used abstract animation as a means of expression, but now I'm thinking about how to incorporate abstract elements into the feature film that I have been working on. For example, there are scenes with Sun Wukong's sorcery or transformations, and also depictions of changing landscapes.
The original story of "Journey to the West" spans 500 years in just one line. When reading the original "Journey to the West," it's amazing to see that Sun Wukong travels to India twice on his cloud.
 
ああ、もう、先駆けて行っちゃってるんですね。 Ah, he's already gone ahead, hasn't he?
 
そうなんですよ、だから悟空1人だったらあっという間に着く、余裕で行けるんですよ。あの話は三蔵法師が人間ですごく弱い存在でそれを守りながら行くからすごく時間かかってしまう、その試練を受けなければいけないっていうのが『西遊記』の物語としてはあって、108の苦難を乗り越えるっていうのがあるんですね。
『西遊記』の最後、すごく面白いのが天竺にお経貰って、帰り道に大きな川を渡るんですけれども、亀の上に乗るんだったっけな、それで、107の苦難しか受けてなかったってことが判明するんですよ。で、まあ、天上界の人たちが、「ああ、あいつら107しか苦難うけてない、あと1個忘れてた」みたいなになって、108個目がその亀から落っこちて水の中に落ちるっていう。最後の川に落ちるっていうので物語が終わるっていう終わりがとてもおかしいんですよね。
でなんかやっぱりそういう原作の魅力ってのはあって。なんかそういったこう縦横無尽な感じだったり、奇想天外な感じっていうのはすごくあるのが『西遊記』なので、そういったものを自分がやってきた抽象の表現で演出すると面白そうだなみたいな、そういう感じでこの原作を選んでたっていうのはありますね。 Yes, that's right. So, if it's just Goku, he can get there in no time, no problem. In the story, Sanzo is a very weak human being, so it takes a lot of time to protect him while they travel. And they have to go through various trials. That's the story of "Journey to the West". They have to overcome 108 hardships.
At the end of "Journey to the West", there's an interesting part where they receive sutras in India and on their way back, they have to cross a large river. I think they ride on a turtle or something. And it turns out they have only gone through 107 hardships. So the heavenly beings are like, "Oh, they've only gone through 107 hardships, they forgot one more." And then the 108th hardship falls into the water from the turtle. The story ends with it falling into the last river, which is quite funny.
So, there's definitely the charm of the original work. It has this sense of boundlessness and extraordinary ideas, which is what "Journey to the West" is all about. So, I thought it would be interesting to portray that using my own abstract interpretation. That's why I chose this original work.
 
#03に続く